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平成31.4.10 天皇家百五十年の戦い 読了前感想文(読了してから書けよ)

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まだ100ページちょっとしか読めていませんが、
思うことがたくさんあり
取り留めもなく書きます。

 

私の虫くらいの脳みそでの勝手な解釈で
戦前なら不敬罪で捕まる(笑)無礼かもしれませんが
お許しください。笑

(ネタバレではありません)

 

今上陛下の皇太子時代の教育責任者だった
小泉信三さんの著者
「この頃の皇太子殿下」の中に

陛下が皇太子時代にお話しされた
"結婚観" について書かれていました。

 

「自分は生れからも、環境からも、世間の事情に迂く、
人に対する思いやりの足りない心配がある。
どうしても人情に通じて、

そういう深い思いやりのある人に助けてもらわなければならぬ。」

 

というような事をしきりにお話しされたそうです。


皇后陛下に出逢う2、3年前のこと。

 

このことを踏まえて、
昨年の陛下のお誕生日の時の
会見を見ますと…

 

本当に本当に、皇后陛下は、
"そのお方" だったんだ、と。


運命、というか 天命というか…

 

この江崎さんの本にも出てきますが、
わずか11歳の陛下が終戦時にご決意された
"逃げ出したくなるほど困難な道"
を歩いて行くために

 

皇祖皇宗の神々が皇后陛下
お与えになったのかもしれない。


と思えてきます。

 

新しく天皇になられる皇太子殿下は
日本史上、
初めて「家庭で育てられた天皇
となるということですが
(古代のことはわからないですが)

 

両陛下が、
お子様をご自身の手でお育てになると
ご決断されたことの意味も
この本を読むと理解出来る気がしました。

 

占領軍の政策の中で、
皇室の伝統を知らない宮内庁職員に囲まれ
帝王学を学ぶ環境も奪われてしまった今上陛下。

 

その今上陛下のお立場と過酷な環境を
誰よりも深く理解していらっしゃる皇后陛下

 

そのような環境の中で、
次の時代の日本を背負う天皇となるお子様をお育てになるには…

 

ご自身の手で
お育てになるしか無かったのだろうと。

 

それが
その時選択し得る
最善の方法だったのかもしれない。


という想像と

 

今となっては


それが最善の道だったんだ。


という
御代替わりを控えての
一国民としての確信があります。

 

って、
読み進めたら
見当違いだったりして笑

 

また続きを読みます。

 

 

 

天皇家 百五十年の戦い[1868-2019]

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