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治水は武士の如く

 

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英雄たちの選択「水害と闘った男たち~治水三傑・現代に活かす叡智~」 

 

めっちゃおもしろかったです。

 

岡山藩士、津田永忠って
皆さん当然ご存知でしょうね。。?
恥ずかしながら私はまた
地元の英雄を初めて知りました。。

 

岡山って去年の水害が起きるまでは
災害が少ない県だと言われてましたが
実は江戸時代まではめっちゃ川が氾濫して
水害多かったらしいです。

知らなんだ。。

 

それがなぜ、今に至ったかというと

岡山藩士、津田永忠が
岡山城下の大洪水を
放水するために百間川を作って
それが今も岡山を守ってくれているんだって!

 

百間川って普段は水がカラカラです。
普段は水が無いんで、子供の頃は私もよくバーベキューしたりスポーツしたりして遊んでいました。

 

それが、大雨や台風の時、本領を発揮するんです。

 

歴史学者磯田道史さんが言うには
百間川は武士のようだと。

 

平時には、何のためにあるのかな〜なんて言われながら
普通にしてるんだけど
いざ、ことが起きた時にどれだけ力を発揮できるか。

 

そして、江戸時代最大級の新田をつくりました。
大反対されながらも、
あちこちに大金を借りて干拓したらしいのですが

 

要するに巨大な新田に水を逃してそこで米を作り
出来た米で借金リターンするという
治水と経済のコラボ
ほんまに素晴らしいと思いました😳

 

 

何年、何百年先の子孫のために
治水が大事だって頑張って民を説得したり大金をはたいたりして
戦ってくれた事に感謝をします。

 

あと、そういう家臣に、やってみろ!って信じた
藩主池田光政公があったからとも思います。

 

番組の中で取り上げられていた
他お二方、信玄堤も金原さんも素晴らしかったです😊

 

津田永忠は他にも
閑谷学校作ったり(‼️)
後楽園つくったり(‼️)
知らなくて恥ずかしいくらい凄い人でした笑

 

磯田さんは岡山出身なので、
たまに岡山のことでオタク魂が爆発しててて笑
岡山県人としても、見てて誇らしく嬉しいです😊

 

番組の中で誰か言ってましたが
日本人はゼロリスク信仰になっていると。

 

教育も社会も、失敗が許されない風潮。 
だから治水にお金かけるとか、災害にあってみないとその気にならない。
なのに、起きた後にだいたいみんな文句言うもんね。
何でやってないんだ!って。。

 

今、自然災害が増えたのはなぜか。
私たち人間は自然を征服出来ると奢ってはいないか?

 

自然に沿うたり
力を受け流したりしながら

 

洪水にさえも、
我々の土を豊かに肥やしてくれてありがとう、

と感謝して生きてきた

我々のご先祖の姿
政治家も国民も
みんな謙虚になって学びませんか?

 

🌸🐱🌸🐱🌸🐱🌸🐱

 

余談ですが、
この沖田新田の干拓の鎮守社としてつくられた
沖田神社というところがあります。

天照大神など御祭神のほかに、「おきた姫」という神がおまつりされています。

 

気になって調べましたら
こんなエピソードがありました。
読んで涙が出てしまいました。

 

美談、だけでなく
こういった尊い先人がいて
それを神と祀る先人がいて。

それを忘れ去っている今の私たちがいて。。

 

私は忘れたくない。

 

今度必ずお参りさせていただきます。

 

🌸😿🌸😿🌸😿🌸😿🌸

 

おきた姫の話(沖田神社HPより)

岡山南部の東大川(吉井川)と
西大川(旭川)の間の堤防工事も順調に進み、
沖新田の開拓も完成間近、いよいよ最後の潮止め工事となった時、
何度やっても翌日になると崩れるという繰り返しでした。

人々は、
「これは海の神様の龍神さまのたたりじゃ。龍神さまのおいかりをおさめるには人柱をたてにゃおえんぞ」と
信じ込むようになっていました。

この時代には、海や川を工事する場合、水神へのいけにえとして、
若い娘を人柱として水底に沈めるというならわしがあったのです。

この話しを聞いた永忠は大変悩みました。家臣にも相談しましたが、誰にも名案が浮かびません。

ある夜のこと、会議が全く進展せず一同静まりかえっていた時、永忠の屋敷で奉公している
『キタ』という娘が、「私でよろしければ、人柱にたちましょう」と申し出たのです。

『キタ』の強い決意に心を打たれた永忠は、
「すまぬ、そなたが人柱にたってくれれば、きっと龍神さまも静まって下さるであろう。
そしてこの工事が完成すれば、何千何万の人々が喜ぶであろう。また、新田ができたあかつきには、
そなたを氏神さまにおまつりして、いつまでも感謝する」と約束しました。

『キタ』は前日から身を清め、人々が見守る中で、潮止め工事の海辺から、白装束・はだし姿で�静かに海中に身を投じました。

すると不思議に潮流静まり、潮止め工事は完成したということです。�現在、おきた姫はおきた姫神社としておまつり申し上げております。

 

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